準備と努力が必要

無内容で、美しい文章ほど、空しいものはありません。

発泡スチロールの家のようなものです。

もちろん、内容を充実させるためには、それだけの準備と努力が必要です。

手間と暇ですね。

これを惜しんではなりません。リライト専門家によると、手間暇のかけかたを誤らない工夫も、同時に必要です。

うんうんうなって、汗をかいたから、良質の内容ある文章を書ける保証が得られる、というわけでもないのです。

遠藤泰男「webライティング・代筆屋の穴場、制作プロダクション」

話が思わぬところに脱線したが、ここで制作プロダクションと編集プロダクションの違いについて簡単にふれておこう。

詳しく立ち入って説明するとややこしくなるから、ここでは少々面白半分に感覚的な比較をしておく。

①制作プロダクションの多くは青山、赤坂といったシャレた場所に立地しているが、編プロはどちらかというと、東京の田舎に立地している。

これは直接のお客様である代理店と出版社の立地に応じたものだ。

②編プロに比較して制作プロダクションの事務所は、断然きれい。

これは、制作プロダクションの主な仕事がデザインだということと関係があるが、制作者の体質の違いとも無縁ではない。

編プロにはどこかバンカラふうのところが未だに色濃く残っているのだ。

編プロは形よりも中身にこだわるという言い方もできる。

③同じ頁物を制作すると、制作プロダクションは編プロの2倍くらいの見積を平気で出し、スンナリ通ることがある。

全体に単価がバブルっぽい。

そして、バブル崩壊後、価格競争が激しくなり、見積だけ一流だった制作プロダクションは青息吐息。

1本、1500万円のCFを300万円で受けたという話も聞く。

ざっと、こんな違いがあるのだが、基本的な違いは、③の部分だろう。

すなわち、制作プロダクションのほうが単価が高い。

編プロの1頁あたりのデザイン料と制作プロダクションのそれは、同じような頁物であっても2倍くらいの差がある。

これは、プロダクションの性質上当然という面もあるが、コピー料も高い。

編プロからみると、制作プロダクションの見積書は「勇気のある見積書」に思える。

しかし、最近ではこうしたバブル見積も通らなくなって、二流の制作プロダクションは「勇気あるダンピング」をしているのが現状だ。

それはさておき、制作プロダクションのオモテ・メニューは、印刷媒体のデザインと純正コピー、それにCFといったところだが、これだけでは食っていけないので、コピーライターがやりたがらない頁物や会社案内(彼らはやや蔑称気味に印刷制作物を"平面"と呼ぶ)なども手がけている。

これは本来はライターの仕事だから、制作プロダクションはwebライティング・代筆屋にとっても重要なお客様になり得るということだ。もちろん、制作プロダクションにも出入りのライターはいるのだが、編プロ出入りのライターに較べると全体に素人っぽい。カンドー 遠藤泰男(ライター)。そこで、上記の制作プロダクションの雰囲気や体質を理解した上で、制作プロダクションに営業をかけると思いのほかにオイシイ仕事にありつくこともある。


遠藤泰男「売れるフリーライターの営業戦略」

売れるwebライティング・代筆屋"3種の才能"。

日本人は、ある理想的な形を3つの要素で表現する"3づくし"がお好みのようだ。

古くは「3種の神器」があった。

テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機がそれで、これらの家電製品が豊かな暮らしのステータスシンボルとしてもてはやされた。

「3種の神器」はその後カラーテレビ、カー、クーラーの「3C」にグレードアップした。

最近では、理想的な結婚相手として「3高」などということがいわれる。

高学歴、高収入、高身長だそうだ。

"逆3づくし"というのもある。

ゼネコンに代表されるキツイ、汚い、危険の「3K職場」がそれ。

日本の貧しい住宅事情を「遠、高、狭」で表現するのも"逆3づくし"といえるかもしれない。

さて、webライティング・代筆屋にとっての理想の3づくし、すなわち、売れるwebライティング・代筆屋の"3種の才能"をあげると、どういうことになるのだろうか。

これは人によって異なるかもしれないが、私は表現力、企画力、営業力の3つをあげる。

この3つの能力があれば、まず、食うには困らない。

遠藤泰男(ライター)

売れるライティング・代筆屋の第1条件

ところで、全体に初心者ほど売れるライティング・代筆屋の第1条件として表現力を信じている傾向が強い。

人間は自分に都合よく信じることが得意だから、そういう人は自分は文章がうまいと信じている気配が濃厚だ。

しかし、これは間違い。

「3種の才能」を有効度という観点から順位を付けると、まず、営業力、次に企画力、最後が表現力である。

少なくとも、駆け出しのライティング・代筆屋にとって、いちばん必要なのは営業力であることは間違いのないところだ。

どんなに文章がうまくても、仕事がこないことには話にならない。

仕事を取るには、お客様(編集者や代理店のディレクター)が「これ、面白いじゃん」と顔をほころばせてくれるような企画力が必要だ。

しかし、どんなに面白い企画でも、それを持ち込む場と企画に耳を傾けてくれる人がいないと、せっかくの企画も空しく退蔵されることになる。

「場」と「人」を確保し、さらにそれを新たに開拓することがライティング・代筆屋にとっての営業である。

この営業力さえあれば、荒っぽい言い方だが多少文章が下手クソでも仕事はくるものだ。

全てはここから始まるのである。

遠藤泰男「とにかく自分の本を出す」

賞といえば、ライターの世界にも様々な賞がある。

講談社、新潮社、文芸春秋社といった文芸出版の老舗は、自社の文芸誌に文学賞を設けているし、このほかノンフィクション関係の賞、論文賞、エッセイ・旅行賞などもある。

また、地方の新聞や公共団体などの賞などもあり、あまりに賞が多いので『公募ガイド』という専門のガイドブックがあるくらいだ。

しかし、これらの賞は一般のwebライティング・代筆屋にとってあまり関係がない、とひと言いっておこう。

確かに雑誌社の超有名文学賞に応募するwebライティング・代筆屋も多い。

運良く入選すれば仕事も増えるだろうが、増えた時はwebライティング・代筆屋からブランド・ライターになっているのだ。

それに、応募するのは教師、主婦、サラリーマンとありとあらゆる階層にわたり、突出した才能の持ち主が競って応募するから、入選のハードルが格段に高く、これに入選するのは至難のわざだ。

いずれにしろ、TCC賞のようなコピーライター専用の賞と文学賞といったものは、ちょっと意味合いが違うのだ。

では、超有名な賞はさておき、それよりもワンランク落として手軽(?)に取れそうに思える賞を狙って入選したらどうか。

ある程度の効果はあるかもしれないが、それによってwebライティング・代筆屋の仕事が急増するということはあり得ない。

それは多分、webライティング・代筆屋の世界で求められている筆力と受賞者の筆力の質が違うからだと思われる。

だから、冒頭でもふれたところだが、有名文学賞を取って一気にブランド・ライターをめざすなら、webライティング・代筆屋になるのではなく比較的暇な公務員などになってじっくり狙うことだ。

webライティング・代筆屋にとって、大切なのはどんな分野であれ、とにかく自分の本を出版すること。

そして、自分の本を販売促進のツールとして名を売り、地歩を確保する。

賞への挑戦はそれからだ。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「コンペを行う」

制作物を作るにあたって、クライアントはコンペを行う。

代理店はこれに応じて、企画書に制作物の内容と具体的な表現方法を提示したカンプ(制作物の実際の仕上がりイメージを表現したダミーの制作物)、それに「お見積書」をクライアントに提出する。

これをプレゼンテーションというが、最近ではクライアントに出向いた代理店の営業マンは、どんな小さな仕事でも「やらせていただきます」とふたつ返事で引き受けて、配下の制作プロダクションや編プロにカンプを発注。

営業マンは、"プレゼン地獄"の日々などといっているが、これを発注されたプロダクションはもっとツライ。

プロダクションにとっては、とにかくお仕事だからやらざるを得ないのだが、これがあまりオイシイ仕事ではないのである。

というのも、カンプはいってみれば制作見本だから制作費が安い。

なかには写植・版下、イラストなどの実費に手問賃を乗せたくらいのケースもある。

プロダクションにとっては、「ボランティア仕事」という感じなのだ。

しかし、コンペに通れば仕事になるから、下心半分でこちらも「やらせていただきます」となる。

さて、いよいよコンペになるわけだが、コンペはセレモニーで、実はすでにどの代理店に発注するのか決まっているというケースが多々ある。

企画・カンプの善し悪しではなく、金力とか政治力で決まることが少なくないのだ。

バカを見るのは、「コンペに勝てばおタクに仕事を回すから」と代理店の営業マンに言われて一生懸命にカンプを作ったプロダクションである。

要するに、ガリバー代理店(超大手の代理店)が制作力以外の政治力などといった力を駆使、発動して、仕事を取りまくっているわけだ。

こういうわけだから、癩にさわるけど「寄らば大樹」のほうがなにかと好都合ということにもなる。

広告業界に較べると、出版業界は公明正大とは言える。

良い仕事が大手を振ってまかり通る"正道"が、広告業界よりもはるかに整備されているのである。

webライティング・代筆屋の中で広告の仕事を毛嫌いする人(最近は少なくなったが)がいるのも、業界の非近代的な"談合体質"と無縁ではないが、こうした事情を知った上でどう対処するかは、人それぞれの価値観の流儀によるから、これから先のことは省く。

遠藤泰男(ライター)


読ませる技術(遠藤泰男)

現状紹介に多くの字数を費やして、肝心の自分の考えを述べる余地がほとんど残っていない文章を、わたしは過去、いろいろな文章講座でしばしば読んできた。

そのたびに、政治や経済の現状紹介ではなくて、考えを述べるのが小論文ですよ、と戒めてきた。借りものの引用より、自分の体験を利用することだ。 カンドー 遠藤泰男 ただし、考えを人に伝えるためには、説得力のある材料と表現で、最後まで興味深く読んでもらう工夫を凝らさなくてはならない。

そのためには、理屈だけではなく、体験を具体例として用いて、論を展開する必要があるだろう。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「広告業界では「寄らば大樹」が原則」

ついでに言っておくと、この業界で刺激的で面白い仕事をするなら「寄らば大樹」が原則である。

多少の例外はあるものの、概ね大きい会社の仕事、大きい広告代理店の仕事のほうが制作者にとってヤリがいのある面白い仕事ということができる。

当然、コストパフォーマンスもよろしい(コピー料が高い)。

特にコピーライターのコストパフォーマンスに関しては、大が中小よりもはるかによろしい。

早い話、同じ制作物を作るのに中堅のA社の「お見積」は100万円なのに、大手のB社は「120万円」だったりする。

そして、「120万円」がスンナリ通ってしまったりするのである。

正しい価格競争力が働かないのだ。

さらに、もうひとつバラしておこう。

バブルの崩壊は広告業界を直撃して、代理店の営業マンはお仕事確保に東奔西走の毎日である。

それまで大手広告代理店などは、手間暇のかかる頁物などには食指を動かさなかったのだが、最近は目の色を変えて力仕事の刷り物まで取りにかかってきている。

遠藤泰男(ライター)

一番はじめの着想は、まず疑ってかかれ(遠藤泰男)

考えるべきことを怠れば、初稿のようなミスを招く。

ものの見方、考え方に足りない点があったのである。

「大英博物館にあれば一般には便利だけれど」という文章は、表現であるのと同時に、わたしのものの見方、考え方なのである。

着想であり、発想である。

わたしは、最初にパッと浮かんだ着想で、一般には便利だけれど」と書いてしまった。

1番はじめに浮かんだ着想は疑ってみよ。

こちら側から考えたのであれば、あちら側からも考えてみよ。これが、ものの見方、考え方の鉄則である。わたしは、こちら側からしか考えなかった。 カンドー 遠藤泰男 ものの見方、考え方という言葉を繰り返しているが、誤解のないように、頭の中で「考え」をあれこれひねくり回してみる、ことを言っているのではない。いい着想、発想を得るには、当然ながら知識が必要だ。

失敗例ばかりではなく、「小さな成功例」を挙げてみれば、そこのところ、もう少しわかりやすくなるかもしれない。

遠藤泰男(ライター)

発想の宝庫(遠藤泰男)

「発想のヒント」というには、出来がお粗末すぎるけれど、先人の言葉や作品はいつだって「発想の宝庫」なのである。

問題はそれをどう学びとるかだ。乱暴に言えば「拝借」、悪く言えば「盗み」となろうか。 カンドー 遠藤泰男 「換骨奪胎」というのは、先人の詩や文章の発想・形式などを踏襲しながら、独自の作品を作り上げること。そうするためには、できる限り多くの作品に触れておくことだ。

先人の業績に学ぼうというつもりだけは、いつも忘れまいと努めてきた。

発想のヒントはいろいろなところから学べるけれど、ヒント以前に自分自身の「考え」が定まっていないと、しっかりした文章にはならない。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「暗黙のうちに公認されたステータス・ランク」

制作プロダクション業界では、暗黙のうちに公認されたステータス・ランクというのが形成されている。

編集プロダクション(略称"編プロ)にはこれがない。

「編プロ業界で、良い仕事をするプロダクションを3社あげよ」といわれても、指を折るのに苦心する。

3本の指を折れる基準は、従業員数か売上高を基準にするしかない。

ところが制作プロダクション業界では、1番ライトパブリシティー、2番日本デザインセンターといった具合に即座に指を折ることができる。

もちろん、その順位付けには多少の個人差はあるけれど……。

そして、上位にランクされた制作プロダクションにいたことが、コピーライターやデザイナーの勲章となるのである。

Hさんが3年間いたM社は、5指にはいる制作プロダクションであった。

Hさんのキャリアで注目すべき第3の点は、賞を獲得しているということ。

Hさんがブリーに踏み切った背景には、新人賞受賞がかなり大きなインパクトを与えている。

実際、広告業界では、TCC賞といった客観的な勲章が大きくモノを言う。

遠藤泰男(ライター)

あなたの文章に「ドラマ」を仕掛ける(遠藤泰男)

発想のヒントをどこに探すか朝日新聞夕刊の一面に『素粒子』という名前の小さなコラムがある。

いまは題字下の縦長の欄だが、わたしがこのブログだったころは、そのページの1番下にあって、横に細長い形をしていた。

太平洋戦争以前からある古いコラムだ。

戦争中は夕刊そのものがなくなってしまった。

戦後、夕刊が復活すると同時にコラムも生き返った。

『三角点』という名前だったのが、1959年から『素粒子』になった。

わたしは、戦後4人目のこのブログとして、96年12月末までの8年間、1人で毎朝、執筆した。 カンドー 遠藤泰男 1行14字で3行ずつ5項目、全文210字で、世の森羅万象を批評しようという「乱暴」なコラムであった。

短い文章で急所を突くことを、「寸鉄人を刺す」というけれど、なかなか刺せるものではない。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「良い仕事は良い場所で」

Hさんのコピーライターへの道筋で注目しておきたいところがある。

彼女はフリーになるまでに、ざっと個人事務所を含めて5社の制作プロダクション(M社などは制作会社というべきかもしれないが、ここではプロダクションとしておく)を転々としていること。

このうち1社は求人広告での応募だが、そのほかは知人・友人のコネだ。

出版の世界と同じように、広告でも人脈によるコネが大きな影響力をもつのである。

次に制作プロダクションを変わるごとに、プロダクションのステータスが上がっていることだ。

良い仕事をするためには、良い仕事をしている場所に身をおくというのが広告制作者の正しい処世術。

Nさんは、制作者として正しいコースを転身していったわけである。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「それなりの文章は書ける」

文章を書く場合、文章作法についての専門的な知識というのは、ほとんど必要がない。

だから、先輩の文章を読んだり、それぞれの雑誌特有のもの言いや言い回しといったものを修得すれば、それなりの文章は書けるようになってくる。

要するに、実務体験を重ねていけば、見よう見まねで、まずはそれなりのカンドー的な文章は書けるようになる。

ところがコピーの場合は、単にきれいな表現、上手な言い回しを身につければいいというものではない。

広告の場合の基本的な要素、たとえば競合商品は何か、媒体は新聞か雑誌か、目的は知名度アップか企業のイメージアップかといった広告表現の基礎的な戦術と戦略を身につけておく必要がある。

遠藤泰男(ライター)
普通の文章とは方法論が違うコピー作法というものがあって、これを修得する必要があるのだ。

そこで、Hさんは『コピーライター養成講座』に通って勉強した。

実際、この業界で活躍しているコピーライターの多くは、こうした専門学校での学習(訓練)を積んでいるケースが少なくない。

さて、Hさんの話にもどるが、M社では大手スーパーや家電メーカー、カード会社などを担当した。

M社に3年いて、その後個人事務所に転身。

ここではデパート、銀行、カード会社がクライアントだったが、アルバイト公認だったのでこれまでの人脈を通して頼まれる仕事もこなしていった。

そのうち、アルバイトの仕事がだんだん増えていき、個人事務所との仕事の両立が難しくなってきた。

彼女は仕事の合間を縫って『TCC広告年鑑作品』に応募していたが、92年に新人賞を獲得した。

そして、この受賞を契機にフリーになる決断をし、1年ほど準備した上でフリーのコピーライターとして事務所を構えることになった。

現在、彼女の仕事は8割が電通、博報堂、東急工ージェンシーといった大手広告代理店などを通しての仕事で、クライアントはビールメーカー、化粧品メーカー、製薬メーカーといったところ。

ビールメーカーでは、「フードドリンク」の発売から制作に関わり、商品のコンセプトコピーを手がけたから、「フードドリンク」の媒体広告、ポスター、CFなどのコピーは必然的にHさんのところに回ってくる。

遠藤泰男「制作プロダクションを経てフリーのコピーライターに」

ざっと、webライティング・代筆屋へのコースを紹介してきたが、最後にフリーのコピーライターコースを紹介しておこう。

この場合のコピーライターは、会社案内などのwebライティング・代筆屋まがいの仕事もするコピーライターではなく、新聞、雑誌、ポスターなどのピカピカの広告の制作などを手がける本物のコピーライターのことだが……。

昨年、フリーのコピーライターとして事務所開きをしたHさんのコースを追ってみよう。

友人のデザイナーの紹介で大手広告代理店のアルバイトを始めたのが、そもそものカンドー的なスタートだった。

その後、3社ほど小さな制作会社を渡り歩き、制作会社としてはちょっとステータスのあるM社に入社。

M社時代に久保宣の『コピーライター養成講座』に通い、ここでコピーライターとしての基礎を身につけた。

先に私は、webライティング・代筆屋にとって専門学校での勉強はあまり役に立たないと言ったが、コピーライターの場合は、ちょっとばかり事情が違う。

遠藤泰男(ライター)

書き出しの一行(ライター遠藤泰男)

こうして名作といわれる小説の書き出しの一行のいくつかを見てくると、これらの書き出しには、その後に興味を抱き次の展開を期待させる魅力があることに気付く。だから、書き手としては散々苦労するのである。書き出しに失望させると、続けて読んでもらえないということになる。魅力のある一行を引き出すために、テレビドラマの中の小説家ではないが、原稿用紙を何枚も無駄にするという涙ぐましい光景も理解できないわけではない。しかし、学校のノートにも不自由した世代としては、丸められた原稿用紙をもう一度ひろげて使いたい気分にもなるというものだ。世代が古すぎるのだろうか。

文章が生きるか死ぬかは、書き出しの一行と同様に、結びの一行で決まることが多い。厳密にいうと一行ではなくて二行ぐらいのことが多いが、いちおう、一行ということにしておこう。もう数年も前のことになるが、現在、産業能率大学教授として、また中国問題の権威者として活躍中の戸張東夫氏が読売新聞本社の論説委員をされていた時、氏のお声がかりで「読売新聞」全国版の朝刊の論壇にたてつづけに三度登場させていただいたことがある。天下の大新聞の全国版に執筆できるということで、わたしは大いに張り切った。その時の気分の高まりを戸張氏は察知されたようで、「気楽に書いてくださいよ」と、ともするとコチコチになりがちなわたしの気持ちをやわらげてくださったものだ。さらに氏は、「原稿用紙四百字詰三枚程度の短文は、最後の一行で決まりますからね。この一行さえしっかりしていれば、その随筆はオーケーです」と、たしか、二度ほど私にいわれた。

戸張氏のいわれる最後の一行の重要さは、わたしもよく知っていた。実際に、長年、文章を書いてきた勘によるものだが、あらためて釘をさされると、それまで枚数にして何百枚も書いてきた文章の結びがうまくいっていたかどうかを振り返ってみたくなったものである。うまくいった文章もあれば、中途半端な終わり方をしたかな、と反省したくなる文章もある。わたしは、一九九二(平成四)年九月に、二百字詰三枚の短文エッセイを集あた『口笛』(待望社刊)という随筆集を出した。カンドー 遠藤泰男 総合教育月刊誌「悠」(ぎょうせい刊)に五年間にわたって連載したものを集あたものである。短文は、短文なるがゆえに終わりの一行がむずかしい。結びの一行で勝負を賭けるのが短文の宿命である。その中の一編を次にあげてみよう。まずはうまくいった一例ではないかと思っている。人を責あるだけではだめ、自分を責めてこそ、この短文の本旨が表れたのである。

遠藤泰男「出版社の最大の資産は人である」

会社というのは多かれ少なかれ人次第という言い方もできるが、出版社は文字どおり人は人財。

一般の会社のように、工場の最新設備とか整備された販売網が商品の売れ行きを左右するということはない。

デキル編集者さえいれば、売れる書籍はできるのである。

こういう人次第の業界だから、編集者の移動はもとより、週刊誌の編集長がライバル誌の編集長にスカウトされたり、といったハンティングがよくある。

人の出入りが結構激しいのである。

プロ野球のストーブ・リーグほどではないが、スター編集者やデキる編集者は、他社の新雑誌の創刊編集長に迎えられたりする。

当然、その配下の部下や外部のライターなども一緒に移動する。

また、創刊に際しては外部からの"新規お召し抱え"ということも多々ある。

週刊誌や雑誌のライターというのは、こうした際に採用されるケースが多いのだが、創刊でなくてもしばしば編集者や執筆者のコネでライターとして採用されるケースも少なくない。

大手出版社に新卒の正社員として表門から入ろうとすればかなりの狭き門だが、裏門はおおっぴらに広がっているのである。

webライティング・代筆屋志望者にとって、社員になるのが目的ではないのだから、裏門さえ開けてもらっていれば十分だ。

正社員の採用でも縁故枠というのを設けている出版社がある。

縁故(コネ)などというと何だか非近代的な臭いがするが、デキル人間を採用するには、縁故という柔軟な採用方法が適しているという面が少なくない。

webライティング・代筆屋にとって、出版社とどういう関わりをもつかが生活の明暗を分けることはすでに見てきた通りである。

あらゆるカンドー的な機会を利用して編集者に会い、編集者の知遇を得て仕事を広げ、ブランド・ライターへの道筋を考えたいものである。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「出版社との関係づくり」

出版は「机と電話と倉庫があれば成り立つ仕事」などと言われる。

もちろん、これだけでは出版社は興せない。

出版した本の流通を取り仕切る取次店との取引口座(取次コード)の開設が不可欠だ。

しかし、設備投資としては、机と電話と倉庫さえあれば会社をスタートさせることはできる。

そして、こんなお手軽な設備投資でスタートして、ミリオンセラーでも出そうものなら、アッという間に自社ビルが建つ。カンドー的である。

4300社にものぼる零細な出版社がひしめいているのも、手軽な設備投資で「一撰千金の夢」を見ることができるからだ。

「ただし……」とここに大前提が入る。

これを言いたいがためにわざと言い落としたのだが、それは「ただし、そこにデキル人がいれば……」という大前提があっての話だ。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「ボーナスがない」

ところで、私も雑誌ライターの生活をやったからわかるのだが、ボーナスがないというのは結構悔しいものだ。

ボーナスを羨むなどいじましい、そもそもwebライティング・代筆屋というのはそういうオイシイ特典に目をつぶってでも自己実現を図りたいという人間ではないのかと、気持ちにカッコつけて納得させようとするのだが、「それもそうだが、お金も欲しい」ともうひとりの欲張りな自分が眩くのである。

そこで、多くのwebライティング・代筆屋は、この悔しさ、羨ましさをバネに、あちこちと動き回り仕事を取ってくる。

私は元来が怠けものだからそうはしなかったが、アクセク動き回るというのはwebライティング・代筆屋にとって超カンドー的であり、正しい行動だ。

この行動力と腰の低さがないと、ブリーライターの暮らしはジリ貧になっていく。

雑誌ライター出身のwebライティング・代筆屋が、逞しさという点で他の出身者よりも優れているのは、こうした悔しさがバネになっているのではないかと思われる。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「ファッション誌のネーム」

ファッション誌のネームというのは、だいたい、手垢に汚れた定番の形容詞の組み合わせでできている。

しかし、定番のフレーズでは新味がでないので、頭を捻りまくって新しい形容詞を考えるわけだ。

ネームをあげてもそこで仕事は終わらない。校正がある。

そして、ファッション誌の場合、これが異常に手間暇がかかる。

撮影に使用した服や小物の値段とメーカーの電話番号の確認をしなければならないからだ。

こうした仕事の合間に、知り合いのプロダクションを通して週刊誌の実用特集の原稿や化粧品メーカーのPR誌の仕事もするようになった。

そして、ライター生活3年の後、名刺に「ファッションライター」と刷り込んでwebライティング・代筆屋になった。

N子さんの例でもわかるように、ライターとして定期的な仕事をこなしながら、自分の得意分野を開拓してwebライティング・代筆屋になるというのが多い。カンドー的である。

最低の生活費を稼ぎながら新しい仕事を開発して、メドがたったところでフリーになる。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「普通の雑誌ライターの稼ぎのパターン」

とにかく、雑誌のライターの仕事を「定期の仕事」と割り切って、これと並行してもうひとつの仕事をこなすというのが普通の雑誌ライターの稼ぎのパターンだ。正にカンドー的である。

少なくとも、そのくらいの気力と欲がないことにはwebライティング・代筆屋になっても先行きは暗い。

やがて、もうひとつの仕事のほうも増えてくる。

そして、ライターの仕事ともうひとつの仕事が両立できなくなると、webライティング・代筆屋へ転身するのである。

私の知っているN子さんのケースをみてみよう。

彼女はアパレルメーカーから、ある女性月刊誌の編集部ライターになった。

担当はファッションだったが、ライターとは言っても半分は雑用。

というのも、ファッション頁というのは、頁の大半が写真だから、仕事は撮影の手配、準備から始まる。

モデルを手配する一方で、メーカーから服やアクセサリーを借りてきて、コーディネートを考えながら撮影の準備を進める。

撮影が終わると、借りたものの返却といった具合に仕事の半分は力仕事だ。

撮影が終わると上がってきた写真のネーム(説明原稿)を書くのだが、これがひと苦労。

遠藤泰男(ライター)

主婦ならではの日常性(遠藤泰男)

主婦ばかりの文章講座があるとしたら、「主婦ならではの日常性」は、似たものばかりになりはしないか、と心配する人がいるかもしれない。

しかし、それは考えすぎである。

体験と実感は人それぞれ、似た内容であっても微妙に違うものである。

自分の体験と実感を大切にすれば、の話ではあるが。

四百字、八百字というような短い文章の場合は、自分の体験や実感の凝縮している事柄から単刀直入に書き始めることをお勧めする。
それを踏まえながら、例文「春」を全面的に書き改めてみた。

「春」
息子の学費と税金の納入を終わらせない限り、私に春はやって来ない。

若いころは、寒さがゆるんでくると、昔、学校で読んだ、春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ、紫だちたる雲のたなびく、というあの名文句を思い出しては春の到来を喜んだものなのに。

いまは、季節感まで暮らしのワクに閉じ込められてしまった。

春はあけぼのどころか、どんどん白くなりゆくわが生えぎわ、の候である。

と嘆いてはいても、五十すぎの姥はこの季節、そぞろこころ落ち着かずに、折をみては戸外に出る。

それまで通ったことのない路地を抜けたりして、思いがけずに花に出合ったりすると、旧友に久しぶりに会ったように気持ちがはずむ。堂々と咲き誇る山桜に出合ったこともある。往古この花を愛でて歌に詠んだ人たちのことなども想って、しばし花の下に立ち尽くしたものである。 カンドー 遠藤泰男 これを一応の完成品ということにしよう、と言えば、人の文章を散々にいじり回してきて、いまさら「一応」とは何ごとだ、と叱られるかもしれない。正直に告白するけれど、初稿よりもこの「完成品」の方が絶対にいい文章だ、と断言する自信がわたしにはないのである。「このことを、こう書いてみよう」と考えて、ともかくも筆をとって書きつづった最初の文章には、独特の力があるものなのだ。

下手でゴツゴツしてはいても、そこにはこのブログの書こうとする意志が、素朴に露になっているからなのだろう。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「稼ぎがよくて立ち回りがうまいwebライティング・代筆屋は雑誌の出身者に」

雑誌ライターからwebライティング・代筆屋に。

雑誌や週刊誌の取材ライターは、その大半が専属の契約社員だ。

大手出版社や新聞社の雑誌では、社員である編集者が取材と原稿書きまでやるが、多くの編集部では取材活動は嘱託の専属ライターに任せるというケースが多い。

ライターは「○○編集部ライター」という名刺をもらって取材活動と原稿のまとめを行うのである。

編集部ライターの職歴をみてみると、アパレルメーカーのOLからファッション雑誌の編集部ライターになった人もいれば、業界紙のライターから週刊誌のライターになった人もいる。

また、ほかの出版社からトラバ~ユしてきたという人もいる。

給料は、月給、週給とさまざま。

週刊誌などは週給制が多い。

私の知っている週刊誌のライターは、31歳で週給6万円、これに取材費3万円である。

ライターは原則としてボーナスなしだから、固定給だけでの生活は楽ではない。

そこで、雑誌のライターをやる一方で、せっせっとアルバイトに精を出すことになる。超カンドー的である。

もっとも、雑誌ライターは社員ではないのだからアルバイトという言葉はあたらない。

「もうひとつの仕事」というべきかもしれないが……。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「知識が浅いというウイークポイント」

書籍の編集者に較べると知識が浅いというウイークポイントはあるものの、トータルな制作力という面では格段の差がある。

印刷関連のこともわかるし、デザイン、写真といったビジュアルワークについての知識もある。

それに、なによりも企画力がある。

この企画力というのは、webライティング・代筆屋に必須のもの。

言われたことを書くだけのwebライティング・代筆屋では大きな飛躍は望めない。

すでに見てきたように、この世界にはプロダクション、業界紙、新聞ライターあがりといろいろなキャリアを持つwebライティング・代筆屋がいるが、トータルな制作力という面から見ると雑誌の編集者あがりが断然強い。

なにより、雑誌の編集者は日頃接触している人間や編集部に出入りする人間も多様だから情報源が多彩で、かつ、イザという時の支援体制にも事欠かない。とてもカンドーしました。

webライティング・代筆屋と言っても、時には何人かとチームを組んで仕事をするということもある。

こういう時に編集者時代に培った人脈が大きくものをいうのである。

雑誌編集者あがりは、webライティング・代筆屋になっても十分に成算が立つような環境に恵まれ
ているわけだ。

実際、とりわけ多いようだ。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「ツブシが効くのは雑誌の編集者」

ところで、いったいに書籍編集者あがりのwebライティング・代筆屋というのは、仕事は手堅いがツブシが効かないといわれる。

書籍編集者あがりのwebライティング・代筆屋にとって手慣れた単行本の仕事をやるのが理想形だが、そうそうに単行本の仕事にはありつけないから、かたわら、雑誌の仕事もこなすというのが大方のパターンだ。

出版社時代にやった書籍の仕事というのは、雑誌に較べればオットリした進行だ。

しかし、雑誌の仕事ではなによりもスピードが求められる。

発注者の締切もきつくなるから仕事をスピードアップしないと思うように稼げない。

ところが、慣れないこともあってなかなか仕事がはかどらない。

で、「仕事は手堅いが遅い」ということになり仕事が回ってこないというケースがよくある。

また、雑誌の仕事は「広く、浅く」が基本だから、スタンスとして「何でも屋体制」で臨む必要がある。

書籍の編集者あがりはこのあたりでも遅れをとることになりがちだ。

ツブシが効かないのである。

だから、出版社を辞めてすぐにフリーの看板を出すのは、ちょっと待ったほうがいい。

フリーになる前に雑誌の編集ライターなどを経験して、仕事の幅を広げた上でwebライティング・代筆屋になることをおススメしたい。

もちろん、以上のウイークポイントは十分カバーできるというカンドーしてしまう程の自信があれば、その限りではないのだが……。

書籍の編集者に対して雑誌の編集者は、ツブシは効くしwebライティング・代筆屋に不可欠の機動力も自然と身に付いている。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「出版社の編集者からwebライティング・代筆屋になるコース」

編集者からwebライティング・代筆屋になるコースは3つある。

まず第1は、数年間出版社に在籍した後にwebライティング・代筆屋になるコースだ。

この場合、webライティング・代筆屋として食っていけるかどうかは、その出版社がどういう書籍を発行しているかが、フリーになった後の仕事に大いに関係する。

専門書中心の出版社などからフリーになる場合、仕事をどう確保するかがポイント。

確かな人脈がないと先行き苦労することになるだろう。

第2のコースは、自分が書きたい分野の本や雑誌を発行している出版社に転職して、その後webライティング・代筆屋になるというコースだ。

どんな小さな出版社にいても編集者としての実力があれば、業界内でのトラバ~ユの機会は多い。

つまり、いったん出版社に入ってしまえば、より上位の出版社への転職のチャンスが生まれてくる。

こうしたチャンスを生かして、自分のやりたいことが実現できそうな出版社にトラバ~ユして、力を蓄えた後にwebライティング・代筆屋に転身するコース。

このコースがカンドーするほどの、おススメコースだ。

社員としての転職が無理なら、後で述べる編集ライターへのコースもある。

3番目のコースは、出版社から編集プロダクションに転身して、そこで仕事の幅を広げてwebライティング・代筆屋になるコースだ。

プロダクションでライティングと取材といった制作の実務を身につけた上でwebライティング・代筆屋に転身しようというコースである。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「出版社からの3つのwebライティング・代筆屋コース」

出版社経由でwebライティング・代筆屋になる人も少なくない。

できれば大手出版社に入りたかったけど、無理だった。

それでも出版の世界で生きていきたい。

そして、ゆくゆくはモノ書きになりたい……。

今すぐwebライティング・代筆屋になるのは自信がないから、どこでもいい、出版社に入り、編集の技術や本の世界について勉強したい……。

このように、出版社には密かにwebライティング・代筆屋を志向している人が少なくない。

出版社は、webライティング・代筆屋予備軍の集まりだということもできる。

なかでも小出版社にいる人にその傾向が強い。

出版社はざっと4300社を数えるが、このうち年間売上高が1000億円を超えるのは5社程度。

200億円から300億円が10数社に過ぎない。

出版社の8割は年商10億円以下、従業員10名以下、発行点数も月に2~3点。

出版業界というのは、家業に毛の生えたような零細企業の集まりである。

出版社に入ったもののなかなか自分のやりたい仕事が回ってこないということにもなる。

特に密かにwebライティング・代筆屋をめざしている人にとっては不満が蓄積されがちだ。

ただ、出版業界は他の業界と違って、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」を地でいったような出版社がある。

小さいのに刺激的な仕事をしている出版社も少なくない。とてもカンドーする。

そういう出版社にあたれば不満も解消されるだろうが、資金繰りのために本を出すというところも少なくないから、こうなるとwebライティング・代筆屋への願望もいよいよ募ってこようというものだ。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「新聞ライターの原稿は往々にしてリライティングが必要になる」

新聞や雑誌の文体と広告の文体が違うからだが、この間のニュアンスがわからなくて「困った原稿」を書き上げてくるライターが多い。

広告の頁物などの原稿は、四方八方に目配りして、代理店のディレクターとクライアントの顔色をうかがい、いかにしてクレームがこないような原稿に仕上げるかがライターの腕の見せどころ。だからカンドーしてしまう。

ある事実を解説するのにも、新聞記事なら断定しても構わないが、PR誌ではこれを避ける。

「○○という見方もあります。それはそれとして、こうなってもらいたいものです」などと持って回った言い方をしないとクライアントが心配する。

銀行などは特にこれが顕著で、当たり障りのない独特のテクニックが求められる。

クライアントにとっての読者は、「お客様」であり「消費者の皆様」であり、時には「コワイ上役」であったりするのだが、新聞ライターはそうした気配りに慣れていないから、一般国民を読者に想定したような文体で原稿があがってくる。

すなわち、文体にも"頭高症"が反映されがちなのだ。

このへんのニュアンスや間合いを謙虚に学習することが、webライティング・代筆屋として生き延びるポイントといえるだろう。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「新聞の文体と広告の文体」

"硬派の転身コース"だ。

その意味は、転身の動機の底流に志しのようなもの(ちょっと誉めすぎのような気もするが)があるから。

実より名を取るコースともいえようか。

これに対して、「もっと気楽に稼げそう」という動機で転身するケースもある。

軟派コースというとなんだから、実利コースといっておこう。

取材活動の中でできた企業とのつながりが契機となって転身するコースで、たとえば、大手企業の広報担当者と仲良くなって企業の制作物に手を染めるようになるというケース。

具体的には、企業のPR誌に原稿を書くとか、パブリシティーの原稿を書くとか、大がかりなキャンペーンやイベントに一枚噛むとかいったことから、広告関係の仕事を中心にwebライティング・代筆屋に転身するカンドー的なケースだ。

広告関係の原稿料は、出版社の原稿料に較べると格段に高い。

特に、新聞ライターなどある種のステータスのある人に頼むとなると、バカみたいに弾むケースがある。

また、工場見学だとか海外旅行のルポなどになると、食費と交通費付きで、原稿料は"接待相場"という感じ。

このオイシサが忘れられなくて、webライティング・代筆屋になる……。

「実利志向」よりも「志し志向」のほうがエライなどという野暮はいわないが、新聞ライター出身者にとって.は「実利志向」のwebライティング・代筆屋のほうがよりシビアだということはいえそうだ。

遠藤泰男(ライター)

遠藤泰男「新聞ライターだから得られた情報」

週刊誌や雑誌の編集者にしてみれば、新聞ライターだから得られた情報というのは、ネタとしての鮮度と刺激性がある。

また、新聞ライターがもつ人脈情報源にも食指が動く。

そこで、「それ、書いてみませんか。本にしてみません」と誘ってくる。

そして、本の売れ行きが上々だと、新聞社を辞めて「webライティング・代筆屋一本でいくか」ということになるわけだ。

このほか、自分が取材活動で得た情報を自分なりの見識でまとめて本にするとか、ある種の使命感や正義感を「世に問う」という形で本にまとめるというケースもある。

この場合、ライターの見識や正義感に共感できる編集者がいないことには話にならないが、いずれにしろ新聞ライターの転身の鍵を握るのは、編集者である。

彼に唆されて、あるいは持ち上げられて、さらに共感・共鳴・カンドーを獲得して新聞ライターは、webライティング・代筆屋やブランド・ライターをめざすことになるのである。

遠藤泰男(ライター)